‘つわものどもの館跡 衣川村「北館桜」’カテゴリーのアーカイブ

3. 喧騒と静寂に咲く桜へのパーマリンク

2003 年 7 月 22 日 火曜日

道は大きく、大きく左にカーブして000橋を渡った
最近竣工したばかりかポッケトパークもある、
車を止めてもらい、ポケットパークと川と橋を車からおり見学、
橋の欄干に獅子踊りのモニメントと付いている珍しく思いながら車に戻った。
 少し、車を走らせると左の方向に急なカーブとハンドルを回しおえると、
」高速道路が近くに迫っている。
 「その前の道路を左に曲がってください。」
と亀ヶ岡が指示を出した。
舗装はアスハルトで覆われているが、車が一台やっと通れる狭い道である、
更に、ハイウエーの盛り土の斜面にも車一台が通り抜けられる
大きなボクッスカルバートの穴が見える。
 「高速道路を潜って、すぐに右に曲がって下さい。」
と亀ヶ岡さんは、フロントガラスに頭が付きそうに身を前に出し道案内をしてくれている。
 高速道路の下を潜り、直ぐに右折をすると、
ハイウエーに沿って多少草も生えている自然舗装の道である。
しかも、道は斜面を昇るように勾配があり、ハイウエーの高さまで続くようである。
北館桜
 アクセルを踏み、3人は、何と無く前かがみに成り、
カルバートのタイムトンネルを通り抜け、
何百年の坂を上って行くと戦いの叫びか、邦楽の響きかが聞こえそう。
 高速道路の盛り土の三角の斜面が細くなって行く、高速道路のガードレールが見え、
空より地表の光景が目を支配すると・・、何百の幟の枝に
白い花を付けた太い一本のサクラが目を釘付けにした。
 「あれです。さくらは」
との亀ヶ岡さんの声に引っ張られるかのように車は桜の木下に停車した。
 車を降りる桜の後ろの方には、高い樹木、低木が林のように取り囲む
2、3軒の落ち着いた家屋が静かに耳を澄ましている。太い桜の根元から
一寸離れた所には、北館跡と刻まれた木の柱が立っている。
 すぐ脇の高速道路は、何台も何台も現代の嘆きと唸り声を上げながら
メカクルマがと通り過ぎていく。
 いくさの風も、野の風もクルマの風も揺れる踊りの花扇。
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2. 古戦場は今米どころへのパーマリンク

2003 年 7 月 8 日 火曜日

車は国道4号線から左折すると衣川蕎麦の店ある。
「左に曲がって下さい、そこを右にです。」
と亀ケ岡さんの道案内でクランク状に道を走る国道4号の沿線の建物を抜ける、
道は高速道路と平行に走り南へと向かって居る、先程までハンドルが北を向いていたのが、
今は、ユータウンして南に向いている。
車の後部座席の右のウインドーには、緑が生え始めた岡の斜面、
左のウインドーには春の耕しを待つ哺場が幅広く帯状につづき帯びの端にハイウエーが
堤防となって東の田園風景を遮っている。
北館桜
衣川古戦場はどの辺に位置するか分からないが、古の甲冑を着けた何万のつわもの達が
いのちを賭けてこの地辺りでも駆け巡った人馬の叫びが聞こえそうな気持ちさえなってくる。
「もう一寸先です。」
と亀ケ岡さんの声で佐藤裕之さんはアクセルを強く踏んだ。
右手に視線を戻すと小学校が見えてきた。
衣川小学校と門柱に刻まれているピカピカ姿の一年生が
歴史の悲運さえ大きく飛ばす大きな声で春のうたを唄っているような光景である。
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1. 遠い昔の栄枯の華へのパーマリンク

2003 年 6 月 23 日 月曜日

藤原三代、黄金の国、悲運の武将義経、
千年の歳もつわものの夢が野深く眠る平泉の里に
ハイウエーのタイムトンネルをメカカーが抜け出す。
国道4号線、蝦夷の道、奥の細道、参勤交代の道、
旧国道いずれも関八州と陸奥を結ぶ道、北に向かう文化の流れ道。
一関のインターチェンジで高速道路を降り国道4号を北上し中尊寺のある平泉を縦断し、
鎌倉頼朝勢と北の勇藤原勢、義経主従が戦った古戦場が静かに、歴史の中で息する地、
緑の色が似合う衣川村に入る。
北館桜
阿部壽さんから頂いた東北地方サクラ銘木一覧表に寄ると古木のサクラは、
衣川村横道したと書かれていてどの辺か検討つかないが、
亀ケ岡さんが前もって役場に問い合わせしたり地図を手にいれたりして
一週間前に苦労して場所を探し、サクラの写真をデジタルカメラ、
アナログ写真と二重も大事に写してくれている。
「その道を左に曲がって下さい。」
との亀ケ岡さんの案内で運転手の佐藤祐之さんは、
「ハイ、そこですか」
といいながら車を左折した。
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