‘会津気質が伝わる 会津若松[石部桜」’カテゴリーのアーカイブ

3. とうせんぼうのオロチの桜へのパーマリンク

2002 年 11 月 22 日 金曜日

石部の地域、桜の近くに居るはずであるが、桜のシーズンには早く、
花の香りや人の賑わいもない。
どっかで、道を間違ってしまったらしい、車をバックしてユータウンし少し下ると、
家の門振りの松を脚立に上がって懸命に松の手入れをしていたおじさんいる。
 「石部さくらは、どの辺ですか」
 「下れば、書いてある」
と庭の手入れに集中している様子であり、すまないような気がした。
 少し下ると気の標識に石部さくら、矢印があった。
先程は、浄水場の案内板の方に目が取られて見逃してしまったのだ。
 標識の方向の道は、舗装されていない細い道である。兎に角、前進あるのみ。
 また、一寸前進すると、農道の十字路がある。
右方向の矢印に桜の案内があるが、農道も細く車一台しか通れない。右にハンドルを切る。
石部桜
また、前進。周りは一面田んぼで、右手に傾斜がついている地形である。
150m程右手下にポッツンと桜らしき裸の木が4,5本見える。
 「あれだ。」
とやっと、探した嬉しさの為に声がカン高くなってしまった。
 更に細い農道を車が田んぼに脱輪しないよう慎重に右折したが
前を見ると裸の木の枝が細い道を塞いでいる。
 「行き止まりだ。」
少し、車を農道に乗り入れたがここまでと思い車を止めた。
 ドアを開け地図と資料を片手に小走りに急いだ。
これまで見てきた古木桜とは違っていた。
根株から4.5本グニャと地面付近で曲がりクネリながら、空に向かって伸びている。
日本武尊が退治したヤマタのオロチように古木に見え、案内板に石部さくらと書かれてある。
 車の側でまっていた荒井さんに両手で丸を描いた。
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2. 会津若松まよい道へのパーマリンク

2002 年 11 月 8 日 金曜日

一箕町に居ることは確かであるが、私の開いている地図を穴が空くように見ても
石部という地名が見当たらない。あてズッポに広い道、狭い道を左に折れ
二回ほど右、また左にハンドルが回すと、何時の間にか会津大学の付近まで来てしまった。
 誰かに聞くのが一番と歩くスピードに落とすと丁度、年配のおじさんが歩いている。
 「すいません、お尋ねしますが、石部桜は、どの辺にありますか。」
 さくらの場所の近くにいるかも不明である。また、西会津のように、
もしか「わかんね」とも答えがくるのかと一瞬左脳をよぎったが。
 「桜かえ・未だ早いと思うよ、この道を真っ直ぐに行き右に行って、
左に行くと太い道にでっから、それを右に行くとコンビニがあっから、
そっから左に上って行くとあっから。」
石部桜
と詳しく説明してくれた。
 「ありがとうございます。」とお礼を言い車を走らせたものの、
右か左か頭の中でゴチャゴチャになっていた。とにかく、
どちらが北か南か検討がつかない、右ききなので右、左、右、左と進むことにした。
 右に折れ左に折れると広い道路に出た。
右にハンドルを切りコンビニを捜しながら走るとやはりコンビニがあった。
左にグイット細い道に曲がって入ってアクセルをやや、強く踏んだ。
 住宅の合間の道を曲がりながら緩い勾配の坂道をのぼって行くと田んぼ、
畑に出てしまい道が急に狭く前に進めなくなってしまった。
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1. 只見の水・会津のこころへのパーマリンク

2002 年 10 月 22 日 火曜日

越後境の西会津を後にして国道49号を東に走る。藤橋から見る只見川は、
行く人も阻む豪雪の地から溶け出す一滴、一滴の氷のように冷たい春涙が
集まり谷から下り美しい清流となって流れていく。
 東へ、東へ、会津坂下を通過する。飯豊の山々は
少しずつ、少しずつ小さくなってルームミラーに写る、鵜沼川を渡り、
阿賀川を渡るとフロントガラスを通して眺める会津磐梯山は、
徐々に大きさを増し、飯森山もくっきりと目に映る。
 会津若松の鶴が城や白虎隊は、近世を創りだす歴史のうねりに翻弄された。
石部桜
それは、後世のわたし達に何かを物語ろうとしているかもしれない。
大和人の失われていく義・礼を尊ぶよき慣習が、
頑固なまでの素朴な会津気質が語ろうとしているのだろうか。
 国道49号線は、宮古橋を渡ると阿賀川に沿って南東に方角を変える。
 阿部壽さんのさくら銘木一覧表によると、石部桜は、会津若松市一箕町八幡字石部とある。
一箕町を目指す。
 国道49号線は、神指町高瀬付近で東に方向に右折し街の中を走り、磐越西線の踏切を渡ると一箕町である。
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