‘なにかこころが和む 西会津「化け桜」’カテゴリーのアーカイブ

5. 白き雪と花も葉もない桜へのパーマリンク

2002 年 10 月 8 日 火曜日

常泉寺の石柱の周りや、周囲の家の前をウロウロと歩き回った。
「困った。」
ここまで来ながら、桜の場所わからない、帰ろうかと弱気心がよぎった。
しかし、せっかく西会津まできて諦め切れないとスグ強気心が込み上げてきて、
地図と資料を片手に通りを歩いた。店屋に人が奥にいそうであるが
中に入って声を掛けずに歩いた。
先ほど駅に向かう時に通った信号機のある交差点までくると
果物・八百屋さんに主人らしい人が店の中で働いている。
聞かなければと、店の中に地図と資料を持ち入った。
「すみません、古木の桜、野沢にある化け桜がどの辺かわかりませんか。」
と尋ねると。
「ああ、化け桜ですか、どちらの方からきました。
駅の方ですか、少し戻って左側の細い路地を入っていくとあります。
しかし、雪があって行き止まりになっていますよ。行けないと思いますよ。」
化け桜
「あ、そうですか。ありがとうございます。とにかく行ってみます。」
通りを引き返し、路地に踏み入れた。やはり、行き止まりで雪がノッソリある。
しかし、気持ちが先走る。皮靴で雪の上をぬかりながら進むと土手の上に古木があった。
「化けさくらだ。」
行き止まりのところで車の側で待ってくれた荒井さんに手をあげた。
「あったすか」
と声が聞こえたのでもう一度手を振った。
残雪の上を靴がめり込み、靴に雪が入るのを出しながら進み土手の上に上った。
花もない葉もついてない古木が豪雪地のお墓を守ろうと、姿を荒らしく魔人に化けているようである。
後日、福島の新井さんから満開の化けさくらの写真が送られてきた。
化け桜の写真はこちら

4. 桜とおばあちゃんへのパーマリンク

2002 年 9 月 24 日 火曜日

役場を後にして、静かな野沢駅に戻り、駅を背にして商店、住宅が並ぶ通りを
国道4号の方にゆっくり進むと右手に石柱に常泉寺の字が刻まれていた。
 「ここだ。」と境内に入り、辺りを見渡すと本堂と母屋があるが
古木の桜らしいものが見当たらない、本堂の後ろを探しても、それらしきものも無い。
もう一度、役場で戴いた資料を確認したが、やはり、常泉寺所有となっており間違いがない。
 兎に角、住職に尋ねてみようと母屋の玄関の戸をカラカラと開け中に入らせて頂いた。
 「こんにちは・・こんにちは。」と3・4回呼ぶと、小柄な背を丸めた。
おばあちゃんが「は・い。」と 出て来てくれた。
 「お尋ねします。ここに化けさくらがあると聞いてきたんですが何所にありますか。」
 「ああ、そこだと。」答えが返ってくると心で期待をしていたが。
 「わかんねす。」と以外の言葉が戻っていきた。
化け桜
「えっ。」と、こころでおもいながら、もう一度たずねてみた。
 「さくらなんですが古いさくらがここにあると聞いたんですが。」
 「わかんねす。」
 「ここは、常泉寺さんですね。」
 「はい。」
 「常泉寺さんにさくら、化けさくら、古いさくらあると聞いたんですが。」
 「わかんねす。」
諦め切れず。
 「住職さんか、他の内の人はいませんか。」
 「出かけていて誰もいないす。」
 困ったと思ったがしょうがない。
 「ありがとうございました。」
 「ご苦労様でした。」
と申し訳なさそうに答えくれた。
 玄関の戸をカラカラと閉め外へ出た。家の周りをさくらの古木の桜が無いか探しながら、
地図と資料をにらみ通りの石柱まで戻り常泉寺を確認した。
 「間違いない。」
化け桜の写真はこちら

3. 越後境の駅と役場へのパーマリンク

2002 年 9 月 9 日 月曜日

 信号機から左に折れると、広い道の通りで、ぶつかりに野沢駅がある。
 木造の小さな駅である。時代を遡れば、越後の県境として越後、
会津の人々達の乗り合い客で賑わった姿を残す駅である。
 駅の前から右に折れるとやっと探した役場がある。
木造つくりの使いこなされた昔ながらの“役場”そのものである。
 役場の正面からは入って行くとワンフロアーである。
多分1階、二階で全ての機能を凝縮しているだと思われる。
見通しも良いから風通しも良いに違いない。
 化けさくらは、さくら博士の阿部壽さんから頂いた東北地方サクラ銘木一覧表には、
西会津村下条、樹齢伝500年とあったが、道路マップの地図ではたどり着けない。
化け桜
1階左の商工観光課で聞くことにした。
 「すみません」
と声を掛けると机で仕事をしていた若い男子職員がカウンター越に
 「はい、なんでしょうか」
とでてくれた。
 「化け桜のある下条はどの辺にありますか。」
 「一寸お待ち下さい」
と言って、婦人職員に話しをし、その婦人職員は、
化けサクラの載っている本をコピーして下條の場所を教えてくれた。
その親切さに頭を垂れた。
 場所は駅前通りで本のコピーによれば、桜の名称は、下条の普賢象桜、
樹齢は、500年、地元住民は化け桜、千歳桜と呼んでいて、西会津町野沢字原町の
常泉寺が所有者(管理者)であった。
化け桜の写真はこちら

2. 北国会津にふるさとのかほりへのパーマリンク

2002 年 8 月 22 日 木曜日

公園緑帯に沿って車を走らせると、役場に向かう方向は東(右方向。
の筈なのに道路は意思に反して左、左へとカーブして北に向いて行く。
どうも方向が役場から離れていっているようだ。
車をユータウンし国道に戻り東へ向かった。
 国道を走るとまもなく、斜めに交差する旧道らしい道路に進む。
古びたどこか懐かしい消防署を通過すると、まち並みが中心地らしい雰囲気がするが、
役場がどの辺だか検討がつかない。
 ある家の前に元気そうなおじさんがいる。
 「役場はどの辺ですか。」
 「そこの信号から左に行くと駅だ。その近くだ。」
と元気に手振りを交えて教えてくれた。
化け桜
交差点には、信号機と野沢駅左折の案内標識がある。
信号機をはさんで商店が連なる、西会津町の中心地である。
平成の時代の今、大型スーパーマーケット、コンビニエンスストア、専門店の形態が
地方まで押し寄せているが、この町の商店街は、昭和の時代に繁栄し、そして今も頑張っている。
 田舎育ちの私には郷愁を憶える。
 「何時(いつ)帰ってきた。何時(いつ)までいるんか。
かあちゃん喜んでいるべ。」と声が聞こえてきそうである。
化け桜の写真はこちら

1. 会津越後境と飯豊山の眺めへのパーマリンク

2002 年 8 月 8 日 木曜日

只見川を国道49号が渡ると会津の奥深く入りこむ、
西会津の静かさの中に、越後の微かな香りさえ流れてくるようだ。
 西会津村に入ると間もなく越後街道の右手に山の斜面が土の肌になり
大小のロックが所々に露出している所が500mほど続く、
会津の風景と言うよりアメリカの西部にでもいるような光景である。
 村の役場を目指すことにした。街道と言うより新道であるため走りやすい。
 いつの間にかまちの中心地を通り過ぎており、JRの踏み切りも越えた。
目の前が開け、数十m低い田園の盆地が見える。
田んぼや畑の合間を阿賀川が蛇行しゆったり流れ、
田園の奥には真っ白く雪を被った飯豊の神秘の連山が青空に浮び、
この風景は絵画の世界にいるようである。
化け桜
桜を探さなきゃと地図を見直すとだいぶ役場の位置から
西に越後堺の近くまで来てしまっている。ユータウンして車を走らせると
左の方向から立派な道路がある、この道路を走り大回りをすると
役場に向かえるだろうとの予感から左折した。
 最近できた道路なのだろう歩道がゆったりしている。
道路の左側が2.3m高く、全体が公園緑帯なっており、後方に飯豊の山が美しい。
化け桜の写真はこちら